肥後貴美子さん(ひごきみこ)さん

「熊野の森もろおかスタイル」代表。デザイナー。東日本大震災をきっかけに循環型社会とコミュニティ農園が結びつくことを広めるため横浜市港北区師岡町にて活動を始める。食とエネルギーの自給自足を目指し、地域のなかまと活動している。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科出身。

ーー貴美子さんは私たち武蔵野美術大学の先輩に当たります。武蔵野美術大学の学びはどのようでしたか。

大学ではエディトリアルデザインを専攻していました。学生時代は生物の授業が記憶に残っていますね。それから現代美術論の藤枝先生は、とても好きでしたが休講が多かったです。(笑)
通信課程の夏のスクーリングが、鷹の台の校舎で行われていました。彫塑の授業で胸から上の彫像を粘土で作る授業です。担当教官の若林奮先生の作品が好きで、彫塑のモデルを3年間やっていました。全国から様々な学生が参加しており、年齢もまちまちではあるものの楽しそうに授業を受けていたのをよく覚えています。

ーー活動を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

まず、環境に興味を持つきっかけとなったのは、27歳でデザイナーとして独立した後に、西表島でのガイドブックの作成やビジターセンターの展示を通してエコツーリズムの開発に携わったことでした。さらに染色の工房にもお世話になったことで、自然と文化に対する興味が膨らんでいたところ、2011年に東日本大震災が起こりました。
震災を契機に、自身の住んでいる横浜の地について知らないことを猛省するとともに、地域で食料やエネルギーを自給できる仕組みをつくる必要があると思い、まずは市民共同発電所についての勉強会を開催しました。しかし、なかなか発電所という大きな目標によってまとまりを作ることが難しいと感じたため、そこで小さなコミュニティで作る農園や養蜂といった今の活動を始めました。

ーーコミュニティ農園とは具体的にどのようなものでしょうか?

コミュニティ農園では、持続可能な農法の研究や安全で美味しい野菜づくりを目指して、地域の参加者を巻き込みながら一緒に作る、一緒に食べる、一緒に楽しむための農園運営を指します。地主の方から300坪の耕作放棄地を借りて、地域の方と共同で開墾しました。
農園以外にも気候変動に関する勉強会を開き、建築の断熱、脱炭素、省エネや創エネについても学んでいます。
また、参加者の方がご自身で思いついた取り組みとしてエコストーブde朝ごはん会や青空落語会、映画鑑賞を行う幻燈会なども行われています。

ーー養蜂もされているとのことですが、始められたきっかけは?

大倉山ハチミツというブランド名を引き継いでいます。地域の蜂蜜って、素敵だと思ったので。
前に養蜂されていた方が84歳とご高齢になり、重労働な養蜂を来年になったら辞めるというので、勿体無いと思い、意を決して引き継ぎました。でも養蜂は場所がないとできません。そこでいまの地主さんに声をかけていただき、養蜂に取り組むことができたのです。幸せな出会いでした。
蜂蜜は季節によって花や味が変わるため、3種類(春・初夏・夏)に分けて搾っています。味の違いをわかってもらえるときが、嬉しいです。

ーーこのような活動は地方の方が様々な面でメリットがあるのではないかという印象がありました。肥後さんはなぜ横浜という場所を選ばれたのでしょうか?

現在の師岡町へは20年前に移住しました。それは子育てがきっかけでした。都会の利便性は重要ですが子育てを行うと考えれば自然が豊かな場所がいい。いろいろな場所を回りましたが、師岡熊野の森や畑のある風景に惹かれました。
横浜市でどこかへ出かけるのにも便利。団体名にしている熊野の森は師岡熊野神社を囲む鎮守の森で4つの森が神社を守っています。夫が鹿児島出身のこともあり鹿児島にも強い愛着を持っていますが、やはり人間にとって自然があって、人が温かいというのは大事です。いわゆる故郷というものですね。両親も亡くなっているので師岡町は大切な故郷です。

ーー師岡熊野の森の風景は、地図で見ると都会の中に急に現れた小さな森という印象でした。貴美子さんのご出身はどちらですか?

生まれたのは東京です。親が転勤族だったもので。小学校5年から千葉へ引越しましたが、大学生になってそれから社会に出るまで拠点は東京でした。

ーー地方と都会。貴美子さんの活動が都会であるから成立しているのだろうかという疑問が浮かびました。

都会と地方は確かに違う面もあると思いますが、この地域にも地方から来た人がたくさんいます。人や地域とどのように関わりたいのかは、単純な人口密度の問題ではなく個人個人のキャパシティの問題なのだと思います。都会と地方と規模の違いはあっても求めるものは変わらないのではないでしょうか。出会いのきっかけがあるかないか、それを受け入れるかどうかで地域の見え方が変わっていくのだと思います。

ーー貴美子さんの活動は当初から地域の方に受け入れられていたのでしょうか?

直近の3年に至るまでが大変でした。
もともとは東日本大震災を契機にしたエネルギーの自立が目標で、発電所を作るという大きな目標に向けての勉強会を実施していました。原発事故を経ても日本が洗練された国になりきれないという危機感も覚えていたのです。
しかし、地域住民の中にはいろいろな考え方があり、声高に反原発を叫ぶことは憚られましたし、それがまた不要な対立を生んでしまう可能性もありました。それに勉強会では継続して参加してくれる方も固定化してしまい、もっと暮らしに密着した活動にしていかないといけないのではないかと思うようになりました。
地域の中の資源をみんなで見つめ直すこと。幼い頃に祖父母のお家で食べたみずみずしいトマトの記憶。それに美味しいご飯をみんなで食べること。同じ釜のメシを食うという根本的な視点に立ち返り、耕作放棄地での活動が発信の場になることを信じて、地域の皆さんと一緒に作り上げていくことが今は楽しいと感じています。
勉強会をやっていた頃から一緒に活動をしていて、地域で学童を運営されていた田代さんやそのお友達の料理を楽しみながら、子どもたちまで活動の輪が広がっています。

ーー素敵ですね!このような活動は資金面で大変な部分も多いかと思いますがいかがでしょうか?

この活動は会費で運営しています。
頂いた会費の中から、タネや苗を購入しています。これから秋冬野菜の苗を植えるところです。
活動最初の年は農機具などの購入のために助成金を申請していました。なかなか目標を達成できないこともありましたが、インパクトのある大きなことではなく小さなコミュニティでやってみたいことを小さく始めることがとても楽しいです。

ーーいろいろな出来事があり、それを乗り越えて活動の輪が広がっているんですね。その活動の中で一番楽しいことはどのようなことでしょう?

農作業が終わってご飯を食べる時、ビール飲んでいる時ですね。(笑)

ーーそれは何事にも変え難いですね(笑)肥後さんたちにとって、田代さんはどのような存在ですか?

タシ(田代さんの愛称)は、子供たちの興味の引き出し方や、人の気持ちをわかってくれるということが、ありがたいです。また、地域の中でも顔が広く、私たちが考えていることを地域の人たちにひろめるため声をかけてくれる。
タシも、ご主人もお料理が得意で、いろいろな工夫をしてくれています。とても大きな、安心できる存在ですね。

ーー今後の展望について教えてください。

今年は脱炭素社会に向けた地元小学校への出前授業を行う予定です。また作物も今はみんなで食べるだけですが、いずれ量産できるようになれば販売してみたいですね。余裕ができたらですが。

ーー本日は貴重なお話をお聞かせいただいてありがとうございました!最後に、視聴者に向けて一言いただければと思います!

私たちの活動に参加してくれているメンバーは、自然体で楽しんでくれる方が多くて、とても素敵な方ばかりです。農園はデザインや暮らしと無関係ではないと思っています。環境に負荷をかけないことや、自然を見直すことで豊かになるアプローチがクリエイティブのタネになるのではないでしょうか。必ず皆さんのデザインにもつながっていくと思います。頑張っていきましょう!