肥後健志さん(ひごたけし)
デザイナー。妻、貴美子さんと共に「熊野の森もろおかスタイル」を設立。2000年頃から師岡町に移住。東日本大震災の原発事故を契機に、安全なエネルギー需給を考え活動を開始。武蔵野美術大学実技専攻科出身。
ーー武蔵美では何を専攻されていたのでしょうか?
実技専攻科という学科で、油絵や彫塑、それから美術品の修復などを学びました。
貴美子(妻)とは同じ武蔵美のサークルを通じて仲良くなりました。
人形芝居で前衛的な創作人形劇を作ったりしました(笑)。長い付き合いで山あり谷ありでしたが、一緒に歩んできました。
ーー活動を始めたきっかけは健志さんの発案とのことですが、その経緯を教えていただけますか?
震災の体験が一番の大きなショックな出来事でした。小さい子供もいたため、放射能の存在は怖かったです。行政は大丈夫とは言っているが本当に大丈夫なのか疑問だったので、実際に数字を測ってみたりもしました。
その中、住民参加型で師岡町から何かできないだろうか、自分たちの生活のエネルギーは自分たちで生み出せないだろうか、例えば住宅の屋根を使って、自然エネルギーを市民発電所から生み出せないだろうか、地域の力で大きな力を生み出せないだろうかなどと考え、まずは専門家を呼んで発電所作りの勉強会を始めました。その初めの活動から現在の農業へと繋がっていきました。
ーーその時の専門家をどこで探したのでしょうか?
まずは、友人や仕事仲間、地域の仲間など知り合いから始まり、考えの共有を行っていきました。そのうち、勉強会の参加者から専門的な人脈へと繋げていただき、話が広がっていきました。
ーーどのように勉強会から畑の活動へと至ったのでしょうか?
勉強会を開いて、人を呼んでも全ての人が受け入れてくれるわけではありませんでした。「なぜ自然エネルギーが大事なのか?」「原発は安全に使っていれば問題ないのでは?」など反対派もいました。私には当時、小学生と中学生の子供がいたから親の気持ちとして未来が心配でしたが、当然全ての人がそういう気持ちではなかったのです。
そこで全ての人を動かすのではなく、同じ志を持つ人への発信が大切だと考え始めました。同志を求めるにはどうすべきか?というところから畑へと繋がっていきました。「食」という皆さんが共通で持っているシンプルなテーマなので、長続きするし、会話も弾む。だからこそ、皆さんが興味を持ってくださり、活動が現在も継続しているのだと思います。
また畑仕事は重労働ですが、「育てたものを食べる」という喜びがあるからこそ、楽しく続けられるのでしょう。田代さんを中心に、畑で採れたものを使っていろいろなご飯を作ってくれるのですが、そのメニューが素敵なんです。その重労働と、ワクワク感のセットこそが、この活動の肝です。
その中で当初の自然エネルギーへ少しでも意識が向いたらいいのではないかという考えになっていきました。あまり結論をすぐに求めずに活動しています。
続けていくことが、大切。続けていかないと成長しない。野菜も一緒ですが、時間がかかるんです。
ーー健志さんの好きなメニューは何でしょうか?
田代さんをはじめとする参加者の作る「クリエイティブな食」です!ハーブティーとか。
ーークリエイティブな食!素敵な言葉ですね。因みに、活動頻度はどれくらいですか?
月4回ですが、水やりなど心配なので、自主活動として毎週行っています。
ーー自然農法と菌ちゃん農法の2種類で作物を育てられているとのことですが、菌ちゃん農法とはどのようなものなのでしょうか?
それぞれの農法で作物の種類を分けているわけではありません。実は菌ちゃん農法については今年から始めた活動なので、勝手がわからない中、とうもろこしが異常に育ったり、逆に育ちの悪い作物もあったりして、四苦八苦しました。理由はまだ明確ではなく、相性の問題なのかなど、これから農法を調べてもっと活用していきたいと思っています。
菌ちゃん農法とは、環境循環型農法で、竹や落ち葉などの地域の中で準備できる有機物を畑に入れて、育てる農法です。家庭から出た野菜の生ごみも、畑の堆肥として使っていて、地域地盤型で循環を作ること、地域の中で準備できるもので作ることを大事にしています。
ーーみそのガーデンの野菜はどこかで、買うことができますか?
300坪なので広いイメージかもしれないが、取れる量は売るほどはないので、今のところ、活動内部で消費しています。
ーー今後の展望について教えてください。
農法を確立させて、いろいろな人に伝えていきたいと思っています。この小さなコミュニティが日本各地に広がり、まちづくりがいろいろなところにあったらいいと考えています。そのために引き続き活動していきたいと思います。
ーー今の活動を通して、デザインに対する考えに変化はありましたか。
グラフィックデザインももちろん続けていますが、空間デザイン、ガーデンデザイン、まちづくり、人づくりのデザインが楽しいという考えに変わっていき、多くの人を喜ばせるプロジェクトのデザインに興味が向いていきました。
ーー最後に視聴者へ向けてメッセージをお願いします
鹿児島出身ですが、今の地でくらしながらコミュニティの拠点を作っていきたいと思っていますので、ぜひ遊びに来たい方がいるなら、歓迎しますよ。